Fuji Television Japanese Grand Prix 2000
2000年 F1世界選手権第16戦 日本グランプリ
フェラーリ 21年ぶりの悲願達成!
シューマッハ 3度目の王座獲得!!
今年も「エフワン」が鈴鹿にやってきました。
ここ1〜2年でF1を巡る状況は大きく変貌しました。特に今年は、ジャガー(フォード)がワークス参戦、BMWはウィリアムズチームに、ホンダはBARチームにそれぞれエンジン供給を開始、さらにはルノーがベネトンチームを傘下におさめ、来年にはホンダがジョーダンチームにもエンジン供給対象を拡大、2002年にはトヨタが単独チームで参戦することが決定しており、これをフェラーリ(フィアットグループ)とマクラーレン・メルセデス(ダイムラー・クライスラー)が迎え撃つ・・・、と、まさに「世界自動車メーカー・バトルロイヤル」の様相を呈しています。
こうした状況の中で、今回の鈴鹿の最大の注目点は、なんといってもミハエル・シューマッハ(フェラーリ)とミカ・ハッキネン(マクラーレン)の年間総合優勝争いでした。
シューマッハがチャンピオンになれば、1979年のジョディ・シェクター以来21年ぶりにフェラーリがドライバーズタイトルを獲得することになり、ハッキネンが王座に就けば、1950年代のファン・マニュエル・ファンジオ以来の3年連続チャンピオンが誕生することになるため、どちらにしても今年のチャンピオンは歴史に残る偉業を達成するのです。
前戦のアメリカGP終了時点では、シューマッハがハッキネンを8ポイント差でリードしており、ハッキネンにとっては残る鈴鹿、マレーシアの2戦をともに優勝で飾らなければ自力優勝の望みが絶たれてしまうという「剣が峰」の状況になりました。対するシューマッハは、ハッキネンより前でゴールすればほぼチャンピオン確実という比較的楽な状態ではありますが、マシンの絶対的な完成度という面においてマクラーレンが若干優位であるという事実は疑いもなく、依然として気を許せる状況にはありません。
こうした両者の「意地」の張り合いが真正面からぶつかりあったのが土曜日の予選でした。シューマッハがトップタイムを出せばすぐにハッキネンがこれを更新してトップに立つ、という状況でトップが入れ替わること4回、シューマッハが3度目のアタックで記録したタイム1分35秒825の更新をめざしてハッキネンが最後のアタックに出たものの、わずかにミスが出てこのタイムを上回ることはできず、最終的にシューマッハがポールポジションを獲得しました。
ポールをとったとはいうものの、両者のタイム差はわずかに1000分の9秒。「ポールポジションを祝いたい気持ちもあるが、これでゲームが終わったわけじゃない。明日は過酷な戦いが待っている。」とインタビューに答えたシューマッハに笑顔は見られませんでした。
明くる日曜日、その不安が的中したのか、あるいはあまりのプレッシャーに微妙なアクセルコントロールを乱したのか、レースがスタートして最初に第一コーナーに飛び込んできたのはシューマッハではなく、ミカ・ハッキネンでした。その後もハッキネンは周回ごとにわずかずつではあるもののシューマッハとの距離を徐々に広げ、レース中盤にはその差が5秒以上にまで広がってしまいました。
「これでチャンピオン決定はマレーシアに持ち越しか・・・」と多くの観客が思い始めた頃、鈴鹿サーキット全体にポツリポツリと雨が降り始めました。コースに異変が生じたのはその時です。トップのハッキネンと2位のシューマッハとの間隔が目に見えて縮まり始めたのです。
レースも終盤にさしかかった37周目、先にタイヤ交換を行ったのはマクラーレンでした。しかし、結果としてこのピットインによってハッキネンは大きなハンディを抱えることとなってしまったのです。この時、コース上に降り続けていた雨はピークを迎えており、新しいタイヤが充分に温まって本来のグリップを発揮するまでの間、ハッキネンは滑りやすい路面と格闘しなければなりませんでした。
これに対してシューマッハは、ハッキネンより3周遅くタイヤ交換を行いました。雨の状況をより正確に見極めるためであったのか、あるいは燃料の軽い状態で少しでも長く走り続けるためであったのか、その真相は定かではありませんが、ともかくシューマッハは雨が激しくなった時には温まったタイヤと軽いマシンのおかげでハッキネンを1周につき1秒以上も上回るペースで追い上げ、タイヤ交換を済ませてコースに復帰した時点では逆にハッキネンを4秒あまりも引き離して堂々とトップに立ったのです。
このレースのハイライトはここまで。最終ラップ、ハッキネンはシューマッハを猛烈に追い上げ、その差1.8秒にまで迫りましたが逆転には至らず、結局シューマッハが20世紀最後のF1チャンピオンに輝いたのです。
2000 F1世界選手権第16戦 F1日本グランプリ レース結果
| 順位 | ドライバー | チーム | マシン |
| 1位 | ミハエル・シューマッハ | スクーデリア・フェラーリ | フェラーリF1 2000 |
| 2位 | ミカ・ハッキネン | ウェスト・マクラーレン・メルセデス | マクラーレンMP4/15 |
| 3位 | デビッド・クルサード | ウェスト・マクラーレン・メルセデス | マクラーレンMP4/15 |

タイヤ交換、給油を終え、シューマッハをコースへ送り出すフェラーリのピットクルー。
以前からピット作業の迅速さでは定評のあるフェラーリチームですが、今回の日本GPではスピードにおいては劣勢であったシューマッハのマシンをピット作業によって大逆転勝利に導いた訳ですから、クルーの喜びもひとしおであったと思います。
レース終了後、スタッフ一人ひとりと握手を交わし、抱き合って喜ぶシューマッハの姿に今年のフェラーリの強さの秘密を見た思いがしました。
チェッカーフラッグを受け、大きな歓声を上げて迎える赤い軍団にコース上から応えるシューマッハ。
この後、ウィニング・ランの間もシューマッハは感激を押さえきれない様子で自身のヘルメットを押さえたり、ステアリングを両手で叩いたりしながら観客席を埋め尽くした15万人余のファンに喜びをアピールしていました。

表彰台で喜びを爆発させるシューマッハ。
出身国であるドイツの国歌が演奏されている時には神妙な顔をしていましたが、チームの所在地であるイタリアの国歌演奏中には大仰な身振りで指揮者の真似をして会場を湧かせていました。
その仕草が「イタリア国歌を冒涜するものだ」として批判する人もいたようですが、結局は「力こそ正義」のこの世界。イタリアの威信を復活させた正義のヒーローとして、シューマッハの名は長く語り伝えられることになるでしょう。
Today's Drivers

レース前のドライバーズパレードで観客の声援に応えるミカ・ハッキネン。
「ツボにはまれば早いが、脆さもあわせ持っている」という印象のあるドライバーでしたが、1998年、1999年と2年連続で世界チャンピオンを獲得したことにより、今や押しも押されもせぬ「強いドライバー」に変身しました。
そのハッキネンに唯一弱点があるとすれば、天候の変化により路面コンディションが不安定になった時のマシンコントロールであると言えるでしょう。雨の降り始めなどリスクの高い場面においてもマシンに最大限の性能を発揮させる能力は、やはりシューマッハに一日の長があるようです。そして、その一点こそがまさに今回の鈴鹿でのチャンピオン決定劇の最重要ポイントとなってしまいました。
とはいえ、同じマシンに乗るデビッド・クルサードですら1分以上引き離すその力走は、クルサードをして「スタートの瞬間から僕らは完全に蚊帳の外に置かれてしまった」と唖然とさせるほどのものであり、他のドライバーとは明らかに次元の違うものであったのです。

ホンダS600に乗ってパレードに出発するジャック・ビルニューブ。
昨年は結成されたばかりのBARチームに加入したものの、マシンが思うように走ってくれず選手権ポイント・ゼロという屈辱のシーズンを送りました。今年は、待望のホンダエンジンを得て捲土重来を期しましたが、ここまで4位が4回、5位1回でドライバーズランキング7位という成績は、それほど満足のいくものではないでしょう。
他チームへの移籍話も噂としては何度も上がっていますが、正式発表を信じる限り来期も同チームで戦うことが決定しており、来期こそはホンダのエースとしての名にふさわしい活躍が期待されます。
今回のレースでは、ウィリアムズの驚異の新人ジェンソン・バトンの後塵を拝し6位でフィニッシュということになりましたが、徐々にトップチームとの力の差は縮まっているようで、今から来期が楽しみです。

2000年F1の最大の注目点はシューマッハとハッキネンのタイトル争いでしたが、歴史的には「ジェンソン・バトンがデビューした年」として人々の記憶に残ることになるのかもしれません。
過去にはステファン・ヨハンソンが19歳でF1デビューした例があるものの、弱冠20歳でのF1参戦もまた歴史的な出来事であるといってよいでしょう。
さらに、バトンは単にF1レースに出場したということのみならず、他の並みいる歴戦の勇士に対して一歩も譲らない実力の持ち主であったことが証明されました。
特に、今回の鈴鹿サーキットでは、これまで一度も走ったことのないコースであったにもかかわらず、フェラーリ、マクラーレンのトップ2チームに次ぐ予選5位の座を獲得しました。これは、鈴鹿サーキットをホームコースとしてフォーミュラ・ニッポンに参戦した経験を持つチームメイトのラルフ・シューマッハをも上回るもので、まさに快挙といえるでしょう。さらに、決勝でもホンダエンジンを擁するジャック・ビルニューブの追撃をかわして5位の座を守りきり、予選の成績が決してフロックではないことを証明しました。
「鈴鹿はテレビゲームで経験しているから攻略法はバッチリだよ」とレース前に語っていたらしいですが、現在のテレビゲームは現実のF1ドライバーが練習用に使えるほど完成度が高いということなのでしょうか・・・。
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8年ぶりにF1への復帰を果たしたホンダのエンジンを搭載するBARのマシン(ドライバーはビルニューブ)。
BARは昨年からF1に参戦を開始した新興チームですが、昨年のマシンのカラーリングはボディの半分がラッキーストライク、残り半分が555とBAR(ブリティッシュ・アメリカン・タバコ)が有するタバコの2大ブランドに塗り分けられていましたが、今年は白のボディにラッキーストライクカラーで非常にシンプルになりました。
このカラーリングは、ホンダの第一期F1挑戦時に定められた「アイボリーホワイトの地に日の丸」という日本のナショナルレーシングカラーを彷彿とさせるもので、昔日のホンダを知る人々にとっては非常に懐かしく思えるのではないでしょうか。
今年はレイナード社が中心となって制作されたシャシーが充分な戦闘力を持っていなかったために目立った成績は残せませんでしたが、来年からはシャシーについてもホンダの技術やノウハウが投入させることになるため、フェラーリ、マクラーレンの「2強」に割って入る可能性は充分にあると思われます。

ジョーダンチームにエンジンを供給している無限のスタッフ。
1992年、フットワークチームとのジョイントでF1に参戦を開始した無限は、その前年にホンダが撤退した後、唯一の日本製エンジンとしてグランプリの世界で戦い続けてきました。しかし、今年、BMW、フォード、ルノー、トヨタなど大メーカーの参戦が相次ぎ、ジョーダンチームにも来期からホンダがエンジン供給を決定したため、無限のF1参戦は今年で最後になると言われています。
地元での最後のレースとなる今回の鈴鹿ではなんとか好成績を残したかったところですが、残念ながら
予選では フレンツェン8位、トゥルーリ15位とふるわず、決勝でもフレンツェンが24周でリタイア、トゥルーリはやっと完走したものの1周遅れの13位と散々な結果に終わってしまいました。
エンジン出力については、フェラーリやマクラーレンにもひけをとらない性能を発揮していると言われる無限パワーだけに、最終戦となるマレーシアではぜひとも好成績を残してほしいものです。
ただ、鈴鹿では無限の本田社長が「F1から撤退するわけではない」とのコメントを出しており、一説にはジョーダンにかわってミナルディチームにエンジン供給を行うのではないかとの噂も流れているということで、もしかしたら来期も無限サウンドが聞けるかもしれません。この世界は何が起こっても不思議はないですからね。

今回のレースにおける最大のアトラクションが、このホンダF1参戦200戦記念パレードでした。
ホンダがこれまで世に送り出してきた数々のF1マシンを今や伝説となった往年のドライバーが運転してパレードを行うというイベントで、これだけのマシンが実際に動いている状態で見られるという機会はめったにあるものではありません。
また、マシンに搭乗するドライバーもビッグネームぞろいでした。写真は、ホンダRA272(前のマシン:1965年のメキシコGPでホンダに初の優勝をもたらしたマシン)に乗る“サー" ジャック・ブラバム(1966年、ヨーロッパF2選手権で13戦12勝と圧倒的な強さを見せたブラバム・ホンダチームのオーナー)とホンダRA273(1966年、規定変更により初めて3000cc のエンジンを搭載したマシン)を駆るジョン・サーティース(ホンダRA273のドライバーとして1966年からホンダチームに参加。ちなみに1967年のイタリアGPで優勝を飾った際に0コンマ2秒差で2位になったのがブラバムチームのジャック・ブラバム)です。
日本でこの2人の姿が見られるということ自体がもの凄いことであるのに、その2人が往年のホンダF1マシンをドライブするところが見られるなんて、夢のまた夢の夢のような出来事でした。
でも、本音をいうともうちょっとゆっくり走って欲しかったですね。あっという間に目の前を通り過ぎて行ったので、写真を撮るのが精一杯で幻のホンダ・ミュージックを楽しんでいる時間もありませんでした(;_;)。

パレードを終えて自らのピットに向かうゲルハルト・ベルガー。
この日のパレードではマクラーレンMP4/6をドライブしたベルガーですが、現在の肩書きはウィリアムズチームにエンジンを供給するBMWモータスポーツのディレクター。
ホンダにとってはライバルチームのリーダーではありますが、ファンとしては、やはりセナのチームメイトとしてマクラーレンに乗り、鈴鹿の130Rを豪快にアクセル全開で駆け抜けていく姿が懐かしく思い出されます。(私個人としては、1987年の最初の鈴鹿GPでデグナーカーブから110R、ヘアピンコーナーにかけて派手なテールスライドを起こしながら駆けていった姿が目に焼き付いているもので、どちらかといえばフェラーリの印象の方が強いんですけどね)
ところで、このレーシングスーツはベルガーが現役時代に着用していた本物そのものだったらしいのですが、現役引退後も当時のスーツが着られる(少しお腹は引っ込めたらしい(^^; )というのは、羨ましい体質なのか、現在もなお厳しいトレーニングを続けているのか、どっちなのでしょうか。

ロータス100T(1988年、中嶋悟がロータス時代の最後に乗ったマシン)を駆る中嶋悟。ご存じ、日本人初のF1レギュラードライバーです。
「雨の中嶋」と呼ばれ、アナウンサーの古館一郎には「納豆走法」と評されるなど、一発の速さはないものの、マシンを壊さず、リタイアしない堅実な走りでファンにアピールしてきました。「自分にもう少し腕力があって、マシンをねじ伏せながら2時間のレースを走りきれる体力があったなら、トップクラスの連中に負けることはなかったのに」と後に語っていた中嶋さんですが、現在は高木虎之介を擁する「中嶋企画」の社長として、F1で勝てるドライバーの育成に取り組んでいます。果たして、その夢が叶うのはいつの事でしょうか?
それにしても、上のBARホンダと比べてみると当時と現在のF1マシンのスタイルの差には驚かされるものがあります。

F1の前座として行われたフォーミュラ・ドリーム(FD)の表彰式。
FDとは基本的にはドライバーの育成を行うレーシングスクールなのですが、単なる練習走行のみならず、国内のトップドライバーやチーム関係者による講義や語学レッスンを行うとともに、全国のサーキットを転戦して実際に観客の前でレースを行うところに特徴があります。
今回の鈴鹿は特別レースとして位置づけられており、昨年のFD卒業生であり今年はF3に参戦している井出有治、今年の全日本F3チャンピオンであるセバスチャン・フィリップとともに、フランスF3選手権に参戦している福田良がゲスト出場しました。
レース結果は、優勝が松浦孝亮、2位セバスチャン・フィリップ、3位福田良という顔ぶれになりました。
この中で最も注目されているのがゲスト出場の福田良です。日本人でありながら早くからフランスで修行を積んできた福田は、なんと今回が初めての鈴鹿サーキットなのです! 今年は、激戦のフランスF3選手権で2勝を挙げ一時はランキングトップに立ったこともある福田ですが、残念ながらスタッフの力量等の問題でシーズン途中にチームを移籍したため、チャンピオン獲得はなりませんでした。しかし、その実力は既にF1関係者にも注目されており、同様にイギリス選手権で活躍している佐藤琢磨、ドイツ選手権で活躍している金石年弘とともに次期F1ドライバー候補として取り沙汰されているほどなのです。
やっぱり日本人のいないF1はつまらないものですから、早くこうした若手ドライバーがF1で活躍する姿を見せてほしいものです。トヨタさん、どうですか? 決めるんだったら今のうちだと思うんですけどね(^_^)
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