My Private Time
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| 初乗りでクラッシュ | |
| 国さんがホンダの2輪契約ライダーとなって最初に首脳陣の前でライディングを見せた時のこと。当時の荒川のテストコースで、本田宗一郎氏や河島喜好氏(後の社長)が見守るなか、ホンダのマシンに初めてまたがった国さんは、直前の選手のライディングを真似て最初のコーナーにつっこんで行ったところ、シフトダウンをミスしてコースアウト。脳しんとうを起こしてそのまま河島氏の車に乗せられて家に帰されたそうです。一般のレーサーが4速ミッションだったのに対してホンダのマシンは6速ミッションだったのでシフトダウンが間に合わなかったからだということですが、堅実なドライバーだと思われている国さんの「若げの至り」的なエピソードでした。 | |
| シューマッハは天才、セナは天才じゃない | |
| 史上最多の通算53勝という記録を持つミハエル・シューマッハ、死してなお熱狂的なファンを持つアイルトン・セナ、いずれも「天才」と呼び称えられるドライバーですが、国さんは「セナは天才じゃない」と言います。その理由は簡単、「セナは死んでしまったから」なのです。「ドライバーは死んじゃいけない」、41年間の現役生活中に、何人もの先輩、同僚、後輩ドライバーが命を失う瞬間に立ち会ってきた国さんであればこそ、命を大切にする思いは人一倍なのだと思います。 | |
| 最も印象に残るレース | |
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2輪で最も印象に残るレースは世界GP初優勝を飾った1961年の西ドイツGP。GPデビュー4戦目にしての初優勝は、現在もなお破られていない記録なのだそうです。 4輪で最も記憶に残るレースは、1977年の鈴鹿F2000開幕戦。それまでビッグレースでの優勝が無く「無冠の帝王」と呼ばれていた国さんが初優勝を目指してトップを独走していたこのレースの最終周、バックストレッチを走っている時に竹下憲一選手のマシンがクラッシュしていることを知り、国さんは優勝を諦めてマシンをコース脇に止めて救出にあたりました。結局、この姿を見た他のドライバーが次々とマシンを止めて一緒に救出にあたったことで竹下選手は無事に救出され、レース自体も全員が最終周でレースを中止したことからその直前の順位を最終結果とすることとなり、見事に国さんが初優勝を果たすという、まさにドラマのような出来事があったのです。 | |
| 生涯現役 | |
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2年前に現役を引退したのはあくまでも周囲の選手やホンダの偉い人から「もうそろそろ引退してもいいんじゃないの」と言われたからその言葉に従っただけ。自分のレーサーとしての能力が衰えたわけじゃない。 つい2、3日前にもホンダの販売店で65歳ぐらいの女性とすっかり意気投合し、新しいインテグラType-Rで一緒にレースをやろうという話で盛り上がっている。現在は62歳だが、80歳を超えてもレースをできる自信はある。 | |
