
この混戦模様に輪をかけたのが、4月18日の土曜日に開催された予選でした。豪雨の中で開催されたこの予選では脇坂寿一がトップタイムをマークしたものの、予選トップ6台で争われるスペシャル・ステージでは視界不良のためタイム計測を断念したことにより、決勝の出走順は5位となってしまいました。そして、予選で最も遅かったラルフ・ファーマンが結果的にポール・ポジションを獲得することになったのです。
そして迎えた日曜日の決勝。ポールのファーマンは、スタートで大失敗を犯し、コース脇の芝生に飛び出してしまいます。さらに、期待の脇坂寿一がエンストでストップ、かろうじて再スタートしたものの、最下位にドロップしてしまいました。
序盤をリードしたのはノルベルト・フォンタナ。しかし、セッティングが十分でなかったのか、思うようにスピードが乗りません。それを追い上げたのが、影山正彦。影山は、フォンタナを猛烈に追い回し、3周目の130Rで強引に外側からパスします。さらに、3位につけていた影山正美(SHIONOGI NOVA)もフォンタナを抜き去り、これで日本のトップフォーミュラ史上初の兄弟による1−2体制が作られたのです。
正美は、途中でスピンするという大きなミスを犯しましたが、コースアウトはかろうじて免れ、すぐに体勢を立て直して兄を追い続けることができました。結局、トップ3台はこのままの順位でゴール。影山正彦は34歳にして初の優勝を兄弟による1−2フィニッシュで飾りました。
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| 順位 | ドライバー | チーム | マシン |
| 1位 | 影山正彦 | MAZIORA IMPUL | ローラT96−52無限 |
| 2位 | 影山正美 | SHIONOGI NOVA | ローラT97−51無限 |
| 3位 | ノルベルト・フォンタナ | LEMONed Le Mans | レイナード97D無限 |

スタートの一瞬。ポールのファーマン(右端、黄色のマシン)は痛恨のコースアウト。また、後方では脇坂寿一(2台並んだオレンジ色のマシン内側)がエンジンストップによりスタートできず。
両者ともレースには復帰したものの、最初から大きなハンディを抱えることになってしまいました。

結果としては影山兄弟の活躍の方が大きく取り上げられることになりましたが、今日のレース前半の主役はなんといっても脇坂寿一の激しい走りでした。
スタート時のエンジンストップで最下位にドロップした寿一ですが、その後の追い上げはまさに鬼神の如しで、前走車をまさにかき分けかき分けしながらあっと言う間に上位へ躍り出、20周目には4位へ浮上。3位を行くフォンタナがすぐそこに手の届くところまでやってきました。
しかし、フォンタナに迫ろうとした21周目のヘアピンコーナーで、プレーキングのミスから寿一はコースアウト。「最下位から表彰台」は残念ながら夢に終わってしまいました。
リタイヤに終わったとはいえ、これまでの日本人には見られなかったほどの切れ味鋭い走りに、観客の多くは寿一の「その先」へ向けて大きな期待を膨らませることとなりました。所属するARTAのスカラシップでF1(ジョーダン無限ホンダ)のテストドライブを行っていることが、寿一の才能を開花させたのでしょうか。

正面から見れば黒、斜めから見れば青、横から見れば緑、光を反射すれば金色、というふうに見る角度によって様々な色に変化する不思議な塗料はチームインパルのスポンサーである日本ペイントの「MAZIORA マジョーラ」という商品だそうです。
このカラーに守られたのか、影山正彦はフォンタナを抜いて以降、全く危なげのない走りをみせて完璧な勝利を挙げました。「チームのみんなが泣いていましたね」というインタビューに、「自分が一番たくさん泣いていたでしょう」と答えた正彦。トップフォーミュラ参戦8年目の初勝利は本人にとって感無量のものがあったようです。

フォーミュラ・ニッポンには初登場の野田英樹ですが、そのレースキャリアは長く、1988年には既にF3デビューを果たしています。しかしながら、その後、ヨーロッパへ渡り、フォーミュラ・ポグゾール・ロータスや英国F3にも挑戦、全日本F3000や国際F3000への参戦を経て、1994年にはラルースチームからF1へも出場しました。しかしながら、F1の世界に定着することはできず、昨年はアメリカへ渡り、インディライツシリーズへ挑戦し、このカテゴリーで日本人として初めての優勝を飾りました。
紆余曲折を経てここに至った野田英樹ですが、今年はセルモという屈指の実力を有するチームに加入したことによって、全日本チャンピオンの座が、そして、さらにその先にあるF1のレギュラーシート獲得の夢が、ついに手の届くところまで来たというところでしょうか。
この日のレースでは、黒澤琢弥と接触し、リタイヤに追い込むという場面もありましたが、非常にアグレッシブな走りで上位に進出、金石に次いで5位の座を獲得し、久々の国内レースでも十分に通用する実力を見せました。レース後のインタビューでも、「チャンピオンを狙うためにはまず完走してポイントを取ることが大事だから」と答えており、今シーズンの更なる活躍が期待されます。

昨年、全日本F3選手権に参戦し、出場した8戦のうち6戦に優勝、2位が1回と圧倒的な強さを見せたのがトム・コロネル(オランダ)。さらに、F3世界一決定戦とも言える昨年のマカオ・マールポロ・マスターズでも優勝するなどその実力は誰一人疑うもののないドライバーです。
今回のレースでは予選を失敗して15位からのスタート。10周目には8位まで上がりましたが、第1コーナーで痛恨のコースアウトを喫してしまいます。しかし、トムが非凡な才能を見せたのはそこからで、冷静にマシンを芝生の方向にコントロールし、なんとかコースに復帰しました。その後、ピットインして大幅に順位を落としたものの、ファステストラップを記録する激しい走りを見せて、8位まで順位を回復してレースを終えました。
チームメイトの山西も18位スタートから10位まで上昇したところで突然のエンジンストップに見舞われ、あっけなくレースを終えるなど、PIAA NAKAJIMAチームにとっては散々な週末となってしまいました。

優勝 影山正彦、2位 影山正美、3位 ノルベルト・フォンタナという表彰台の顔ぶれ。影山正美は3月の全日本GT選手権でもスカイラインGT−Rを駆って優勝を果たし、2戦連続の表彰台ゲットです。
また、3位に入ったノルベルト・フォンタナも、マシンのセットアップを十分に煮詰められなかった状態で、金石や野田らの追撃を振り切って表彰台を獲得できたことに満足そうな表情を浮かべていました。

表彰式終了後、観客席前でテレビのインタビューを待つ影山正彦(右、グレーのレーシングスーツ)と影山正美(左、黄色のレーシングスーツ)の影山ブラザース。
正彦は、これまで実力は高く評価されており、トップフォーミュラでの優勝が無かったのが不思議なくらいでした。正美は、昨年まで横浜タイヤの契約ドライバーということからブリヂストンタイヤのワンメイクで行われるフォーミュラ・ニッポンでは必ずしも恵まれた体制で戦うことができませんでしたが、今年からは日本有数の実力派チームであるチーム・ル・マンに移籍したことによってその秘められた実力を大きく開花させることになりました。
インタビュー後、観客席に来ていた両親を呼び、報道陣に記念撮影をしてもらっていた場面が印象的でした。昔はいわゆる「走り屋」の一員であったという過去もあるようですが、見事に親孝行を果たしたと言えるでしょう。

田中哲也、石川朗という中堅どころのドライバーを擁して参戦する BE BRIDES レーシングチームの監督を務めるのが俳優の岩城滉一です。昨年までは舘ひろし監督率いるナビコネクションレーシングチームが異彩を放っていましたが、今年は代わって岩城滉一が監督として登場です。
とはいえ、岩城滉一自身も過去に富士グランチャン(GC)レースやF2レースに参戦した経験を有する本物のレーシングドライバーであり、チームイワキとして若手ドライバーを育成していた経歴もあることから、単なる客寄せのための芸能人監督ではないということは認識しておかなければならないでしょう。
チームとしては、残念ながら田中哲也、石川朗ともにリタイヤということになってしまいました。2人とも上位に食い込めるだけの実力を有するドライバーだけに、今後の活躍に期待したいところです。