
![]() 生石高原周辺の航空写真(平成8年撮影)…………赤線で囲まれた部分がすすき草原 | ||||||
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生石高原のススキ草原を保全し、復元することを目的として、ススキの「山焼き」が行われることが決定しました。当面は、小規模な山焼きを試験的に実施するにとどまりますが、奈良県の曽爾高原(曽爾村のホームページへ)や兵庫県の砥峰高原(大河内町のホームページへ)と並ぶような季節の風物詩になればいいですね。
このページでは、和歌山県が作成した資料をもとに、生石高原の山焼きに関する情報をまとめてみました。
このススキ草原は近畿有数の規模(約30ha)を有し、風に波打つススキの穂の美しさ、山頂から望む雄大なパノラマは屈指の観光資源となっています。 また、山頂周辺にはススキ草原特有の多様な動植物が生息・生育しており、豊かな生態系が観察できる貴重な地域でもあります。
こうしたことから、和歌山県では昭和50年にこのススキ草原を生石高原県立自然公園第1種特別地域に指定して厳重な保護を行っています。 また、第二次世界大戦後はこのススキ草原が観光資源として注目を集め、近畿地方の青年による弁論大会が開催されるなど、観光地としての地歩が固まってきました。 ところが、昭和30年代以降になると、住民の生活様式が変化し、茅葺き屋根が無くなり、堆肥や飼料としての利用が行われなくなったことにより、生石高原のススキ草原も刈り取り等の維持管理が行われなくなってしまいました。
その結果、枯れたススキが堆積することによって新たなススキの芽出しが阻害されたり、雑木が伐採されずに大きく育ったりすることによって、ススキの勢力が徐々に衰えてきました。こうしたことにより生石高原全体に占めるススキ群落の面積が減少することとなり、和歌山県による航空写真を本にした調査の結果では、昭和43年から平成8年までの28年間で約26haから8.4haへと約3分の1に急減したと言われています。 意図的な山焼きではなく、失火によるすすきの焼失は過去に何回かあったと言われており、記録に残されているものとしては昭和10年頃と昭和40年頃の2回があります。
なお、山頂部ではありませんが、生石ケ峰から金屋町側へ下ったところには昭和30年代まで山焼きを行っていた場所があり、最後の山焼きの際に指揮をとっていた方が金屋町にお住まいだということです。 また、平成13年度には、この活動へのボランティア参加者が中心となって「生石山の大草原保存会」が発足し、同会が主体となって各種の自然観察会やススキ刈り取り会などの事業を継続して実施していくこととなりました。
同会の活動に対しては、地域住民の間にも賛同の輪が広がり、毎年11月末に開催されるススキ刈り取り会には、地元のボランティア団体や町職員、町議会議員、児童生徒などさまざまな人々が参加しています。(平成14年度の刈り取り会の案内はこちら) 山焼きについては、これまでも何度も話題にのぼっていたのですが、大規模な山火事に繋がる恐れがあることから実現することは極めて困難であると考えられ、その都度立ち消えになっていました。 ところが、今回、和歌山県と地元の野上町・金屋町がそれぞれ1/2ずつを負担して合計300トンという非常に大規模な防火水槽をススキ草原周辺に設置することによって安全を確保するという方針が決定したことにより、この計画がにわかに実現に向けて動き出したのです。 ススキ草原を保全するためにススキを焼き尽くすというのは一見矛盾した考え方のように思われますが、実は次のような理由から大変効果的な手法であると言われています。
実際の事業実施にあたっては、平成14年度にまず100トンの防火水槽を設置し、この完成を待って平成15年3月下旬に小規模(約3,000u程度?)な山焼きが試行的に実施される予定です。
その後は、残り200トン分の防火水槽の設置を順次進めるとともに、山焼きの規模を徐々に拡大する予定で、最終的には公有地を中心とした約13ヘクタールの範囲において山焼きを行うことが計画されています。 | ||||||
| この文章は、下記の資料を参考にしました。(かっこ内は資料の入手先) | |
| 1 | 「Nature Friendship 和歌山県ネイチャーフレンドシップ情報誌」(和歌山県環境生活総務課) |
| 2 | 生石高原すすき草原復元実施計画策定等委託事業報告書(和歌山県環境生活総務課) |
なお、この文章はあくまでも私が上記資料等をもとに独自に作成したものであり、その文責は全て新谷垣内個人にあります。 | |